晴れのち曇り。青空はたまに。

ワタシの普段の日常です。ゆる~い感じでボチボチいきます。

舞台「忘れてもらえないの歌」観てきました。

かなり時間がたってしまいましたが、安田章大さん主演舞台「忘れてもらえないの歌」を観に行ってきました。

ストーリーが切なくて、苦しくて、でも笑えて、本当に素敵な舞台でした。

勿論、安田さんはカッコよかったし、戦後の日本でジャズを歌うという設定が、

とってもハマっているなと思いました。

長くなりそうですが、感想を書き連ねてみます。

一部あらすじみたいになっていますが、ご容赦を。

 

 

「忘れてもらえないの歌」は、とっても人間味溢れる(もっと言えば人間くさい)話でした。

なんというか、ドキュメンタリー味が強かったです。決してハッピーエンドではないし、完全なバッドエンドでもなく、でも悲しいし、終わった後にしばらく呆然としてしまうような、そんなお話でした。

 


全二幕、約3時間半が一瞬でした。

第一幕は1945年前後、メンバーが出会い、バンドが成功するところまでが描かれています。

自由に音楽を楽しむことさえできなかった時代に、「カフェガルボ」に集う人たちにとってジャズは密かな娯楽となっていました。

 

そんな日常さえも空襲は一瞬で奪ってしまいます。

 

この空襲後の描写が秀逸で、焼け野原に一人たたずむ滝野亘(安田さん)と、亡霊のようにさまよう人たち。そして虚無感を増幅させる、優しく冷たいピアノの音は、かなり印象に残りました。

戦後、皆が生きることに必死な中、カフェガルボに集っていた彼らが再開を果たし、お金が稼げるという理由で進駐軍相手のバンドに立候補します。

楽器ができない彼らが、採用してもらうために、その場でとっさにやった口だけの演奏。

この「My Blue Heaven」が鳥肌が立ちました。優しい歌いだしで始まり、こちらの心の奥まで響くような透き通った声と、演者さんのそれぞれの声の重なりが本当に心地よくて。

アカペラでさらに映える安田さんの声。

 

「ゆーう暮れーにー、あーおぎ見-るー、かーがやくーあーーおーーぞらーー」

↑この書き方しても、全然伝わらない泣

 

でも、歌詞が日本語なので伝わらないと断られそうになったところを、進駐軍相手に英語を覚えたという娼婦(麻子)がその場で英語で歌って見せ、バンドは採用されることになります。

 

楽器を手に入れ練習し、オフリミットにある「クラブ ガゼル」のステージに立つと、

そこは空襲で焼け残った「カフェガルボ」なのです。

 

徐々に人気も出てきて、「東京ワンダフルフライ」として本格的にバンドを仕事にする彼ら。

物語の展開も、彼らの心を表すようにどんどん明るくなっていき、次々と披露される曲に合わせ、舞台上の進駐軍もこちら側の観客も手拍子をし、まるで大きなLIVE会場になったような一体感。

感情移入すればするほど、ワクワクが止まりませんでした。

第一幕は、バンドの演奏シーンで終わります。

力強い演奏をしながら、ステージごと前出て来た時は、ボルテージも最高になりました。

ここに関しては、完全にeighterとしての感想ですが、

そこの安田章大がそれはそれはもうやばいのです(語彙力)

ピックを口にくわえて、ギターのボディをたたいての演奏もあり、まさに圧巻の歌唱でした。

 

全部が終わってから気づいたのですが、

この第一幕のラストシーンは、第二幕との対比にもなっているんだなと。

 

 

 

第二幕は時間がとんで、1952年から1960年まで、進駐軍が撤退し、時代も環境も大きく変わっていく中でバンドがばらばらになっていく様子と、数年後に再会するものの、ある事件によって完全に分裂してしまう様子が描かれます。

 

成功する人、夢を捨てきれない人、落ちぶれる人、熱いくらいギラギラとした欲望をぶつけ合い、それでも必死に生きようとする様が、ずっしりと響きました。

 

一度バラバラになってしまったメンバーが再び集まり、歌を作っている場面は本当に生き生きとしていて、その前の展開との対比がさらにそのきらきらとした雰囲気を作り出していたように思います。

このシーンは、新進気鋭の歌手のレコード曲を皆で作るシーンなのですが、結局その曲は採用されず、滝野が肩代わりしていたお金も返ってこず、結果的に騙されたような形となってしまい、バンドが完全に分裂してしまうことになります。

 

ただ、とても淡々としたトーンで、ありふれた話のように描かれるので、悲劇というよりは、静かに、静かに、悲しくなるだけです。「泣ける話」として見せられていない分、こちらの方がよほど後を引く。

 

後日この場面を振り返ってみて、福原さんは見ている側の気持ちまでわかっていてそうしているんだろうな、と。ある意味非情ですが、でもこのような描き方ができる脚本家さんだから、私は好きなんだろうなと改めて思いました。

 

2009年のTBS「その夜明け、嘘」から福原さんの作品が好きだったので、今回もこの演出は納得でした。

 

 

最後にゆっくりと静かに始まる「夜は墨染」。新進気鋭の歌手というのは坂本九のことで、坂本九の本当のヒットソング「上を向いて歩こう涙がこぼれないように」という歌詞と、「星のきらめきを胸に抱いてうつむいたまま歩く」という対照的であり何か繋がっているような歌詞にジーンときてしまいました。

 

世に出なかった歌をちゃんと忘れてもらうために、かつてのここのオーナーに向けて最初で最後の歌をゆっくりと歌い出す滝野の声は落ち着いていますが、やがて店が壊される音にかき消されそうになると、どんどん熱を帯び、声は震え、3時間半にわたって描かれていたすべてを込めたような、破裂してしまうんじゃないかという声。

痛々しく、でもかっこよく、魂がもっていかれるようなこの歌声を出している安田さんの熱量を、とてもじゃないですが言葉にするのは難しいです。

私の言葉で綴ってしまうのが申し訳ないくらいに。

 

歌い終わった滝野は泣き崩れてうずくまり、カモンテ(オーナー)は「いい歌じゃない」と明るく言います。カモンテの「じゃあ、いつかちゃんと忘れてあげる!」という言葉が、滝野の救いになればいいなと思いました。

 

完全に引き込まれた余韻の中で、これは、悲劇なのか、喜劇なのか、色々な感情が混乱し、やりきれない気持ちのまま、拍手をしました。

 

 

劇中で、心に残った言葉がいくつかあります。

 

「俺はそんなことで、これっぽっちも魂がすり減ったりはしない!」

第二幕でバンドからメンバーが去る時、給料を稼ぐために自分たちのやりたくない音楽をやることに対して、滝野が答えるときの言葉です。

なんというか、シンプルですが“強いな”と思いました。

やりたいこと、やらなければならないこと、理想、現実、いろんなものの狭間で我々は常に揺れ動いていて、やりたくないことに対してこんな強く言えない気がするんですよ、普通は。

滝野は物語の冒頭から、生きるためにお金になりそうなお酒を盗んだり、お金の匂いがする場所の嗅ぎつけ方がうまかったりするんですが、自分がいまやるべきことをこんなに強く意識できて、こんなに胸を張って言えるような人間って、ヒリヒリするほどアツいなって思います。

 

「自分が生きていると実感できた出来事、時間が時代のせいだったなんて思いたくない」

これは麻子さんが娼婦の過去について言われたときの言葉です。

「時代のせいにしないで」「娼婦になることも、自分で選んだ」

何かのせいや誰かのせいにしてしまえることって、この世の中には沢山あるけど、

そして弱い自分は、つらい時にどうしても何かのせいにしてしまいたくなるけど、自分の人生に責任も価値も見いだせる、そんな生き方がまぶしかったです。

 

「心が空っぽだと、人は生きていけない」「詰まってるなら、いいじゃない」

「でもどうせ詰めるなら、絶望よりは希望にしときません?って思います」

麻子さんが、「私の心は絶望がぎちぎちに詰まってる」といった時の、滝野の答えです。

どんなにしんどい時でも、それはまだ絶望が詰まっている状態で、そんな時、「詰まってるなら、いいじゃない」という言葉が、背中を押してくれる気がしました。

生きているとうまくいかないことも沢山あるし、しんどいことも沢山あるけど、その時にこの言葉を思い出すんだろうな、と感じるぐらい、心に響きました。

 

 

物語を通して、所々で記者が滝野に過去をインタビューをし、そこから当時に遡る描写で進んでいくのですが、記者が何気にキーマンという見方もあるなあと思いました。

過去を振り返るインタビューをされてる時点で、彼は今もう、成功者なのかもしれません。

そう考えると喜劇のような気もするけど、

でも見終わった後はずっしりと静かに悲しくなるお話でした。

 

 

先日無事に大千秋楽も終わったようで、個人的には劇中歌を音源化してほしいなと思ったりします。

 

 

映画も本も好きですが、舞台のいいところは、やはり演者さんと同じ空間で熱量を感じられることですね。今回は安田さんの舞台だったので、eighterとしても見ていましたが、もっといろんな舞台・色んな演者さんを見に行きたいと思いました。

忙しいとどうしてもインプットが少なくなってしまいますが、自分で時間を作っていきたいところではありますね。

 

 

できれば希望を詰めたいところですが、たとえ絶望が詰まってようとも、前向いてどんどん前進していきたいです。

 

(終わりが真面目)